たいまでら當麻寺
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大和路古寺散策

日本文化の中心地、
奈良大和に、生をうけて68年、心の時代と言われる昨今、
やすらぎを求め、
大和路の古寺を訪れます。
悠久の時を越えて守り継がれた日本文化の象徴としての
「古寺」の魅力の一端を
インターネットを通じてご紹介いたします。


奈良県の西部、二上山の麓、木々に抱かれた東西の三重塔は白鳳時代から1300年の時をきざみ続けています。
平城の都から見て陽が沈む山の麓にあり、西方・極楽浄土の入り口であると信じられたこの寺の本堂に本尊としてまつられているのは當麻曼陀羅。奈良時代、世の無常を悟って出家し、この寺で修行した中将姫が、観音菩薩と阿弥陀仏の助けを借りて一夜にして織り上げたと言う、この目で見る極楽浄土が伝説と共に広く人々の信仰を集めてきたのです。
金堂にまつられた本尊は弥勒仏。釈迦入滅から56億7000万年後にこの世に現れ、人々を救済する姿というこの坐像は、日本最古の塑像。
白鳳の創建当時から今日まで、訪れる人々に慈しみに満ちたまなざしを注いでいます。大和の人々が「あめのふたかみ」とあがめた二上山の懐で四季折々美しいたたずまいを見せる當麻寺。ここには、平安、鎌倉、江戸と極楽往生を願う人々が求め、伝えてきた極楽浄土の世界があります。
二上山の夕焼け
4月下旬から5月上旬には有名なボタンの花が見ごろで参詣者を迎えます。
本堂 (曼陀羅堂)
国宝 塑造弥勒仏坐像
重要文化財 乾湿四天王立像
當麻寺では曼陀羅以外にも極楽浄土の世界をこの世にあらわすために情熱を傾けてきました。二十五菩薩来迎像。楽を奏で舞を踊りながら亡くなった人の魂を迎えに来る菩薩たち。
毎年五月十四日に行われる「練供養」は、生身の人間が二十五菩薩を演じる儀式で、平安時代以来、千年にわたって続けられて来ました。
本堂 内陣
練供養会式
中将姫ゆかりの石光寺
おみやげ
中将餅
中将姫伝説にちなんだ草餅で、よもぎ餅を小豆あんでくるみ、ボタンの花びらをかたどった素朴な生菓子です。
中将堂本舗
北葛城郡当麻町当麻55-1
電話 0745-48-3211
当麻寺から北へ歩いて15分のところに中将姫ゆかりの寺があります。
中将姫が曼陀羅を織るときに天女の助けを借りて蓮糸を五色に染めた「染井」という井戸があり、「染め寺」と呼ばれています。この辺の地名が「染野」と言います。
また寒牡丹も有名で11月下旬から1月中旬が見ごろです。

拝観時間 8時30分〜16時30分
拝観料    300円 

電話 0745-48-2031

◎当麻寺年中行事

2月24日       法然上人御忌法要
5月14日       二十五菩薩練供養会式
7月22・23日      蓮華会

◎当麻寺への交通

近鉄南大阪線「当麻寺」駅下車徒歩15分
拝観料  曼陀羅堂・金堂・講堂   500円
       奥  院           300円
       中之坊            300円
拝観時間 午前9時〜午後5時
住   所 奈良県北葛城郡当麻町当麻1263

資料 NHK衛星放送
平成古寺巡礼展
--奈良・大和路に秘められた仏像を訪ねて--

仏像・曼陀羅の解説
像高はセンチメートル
地蔵菩薩立像 木造 一躯
当麻寺 奥院
像高 150.0 平安時代

体部荷に比べて頭部はいたって小さく、両手先両足先を除いて全て桧の一材より彫出されている。着衣の大衣は衣文が腹からY字状に流れ落ち股間で力強く反転する。右肩から垂れる下衣、それに裳裾も衣文線を実に数多く刻んでいる。左眼の彫りが少し浅くなっているが、鼻稜、口もと、三道、乳部のくくりなど明快に刻まれている。光背や持物の錫杖は後補であるが、蓮台はやや古く鎌倉時代まで遡りえよう。平安時代に流行した地蔵信仰にもとずくもやや個性的な造形がみられるのは興味深い。

天部立像 木造 一躯
当麻寺 奥院
像高 164.0 平安時代

右手に剣を握り、左手は垂下して掌を下にして、あたかも大地を圧するかのごとく、右足は直立して支脚とし、左足は軽く膝を曲げ遊脚とし、両足は朽木で造られた岩座を踏む。鎧は通形に異ならないが、下につける衣の袖は大きく反転する。頭部と共彫りする宝冠は高く作られ、黒くなった面相は眉太く、鼻から両頬、口もとへと厚い肉取りで特徴ある表情をたたえている。袖の反転以外はむしろ動きの少ない像で、その制作は十一世紀に入ると考えられる。桧材で色彩も僅かに残る。

阿弥陀如来立像 木造 一躯
当麻寺
像高 215.0 鎌倉時代

当麻寺で毎年行われる練供養(阿弥陀と二十五菩薩とが此土に来迎し、極楽浄土に引接するさまを実演してみせる行儀)の主尊である。現在は使用されず本堂内に安置されてある。本像は像高が二メートル以上あって堂々とした体躯をみせるが、寄木造りで表面に漆箔を施しその体内は大きく空洞に造り、人が体内に入って像を荷担えるようにつくられている。このとき裳裾部と足先とは蓮台上に残し、袈裟から上が取り外しできるようになっている。これと同様なつくりの像は他に二例ほどあるが、本像が最もよくできている。頭部は大きく、面部の肉どりも豊かで、着衣や印相などは通形の来迎阿弥陀像と変わらないが、胸間に卍部分を切り透かし体内から外をのぞけるように工夫されてある。鎌倉時代より流行の練供養の主尊として甚だ貴重な作例である。

阿弥陀二十五菩薩来迎像 木造 二十六躯
当麻寺 奥院
(阿弥陀如来像) 像高 101.0 室町時代

極楽往生を願う者の臨終に際し、阿弥陀如来や諸菩薩が迎えに来て浄土に導いていくさまは、絵図化されて阿弥陀来迎図などに表されるが、そうしたさまを彫刻群像で作り上げた珍しい遺例。阿弥陀如来は、手に来迎印を結び、後光を表す放射光を負い、蓮華座上に立つ。二十五菩薩は、いずれも円光背を負い、観音菩薩が手に往生者の魂を載せる蓮台を捧げ勢至菩薩が合掌するほか、楽器や幡蓋などを執りにぎやかに如来にしたがうさまを、動きのある姿態で表現している。
いずれも寄木造りで、阿弥陀如来像をはじめ大部分の菩薩像は漆箔仕上げであるが、頭をまるめて比丘形に表された菩薩像は彩色仕上げとしている。衣文線などに形式化した硬さがあるが、小像ながら変化に富んだ群像表現は見事であり、光背や宝冠、持物、装身具などの欠失も少なく保存状態も良い。
なお、阿弥陀如来像と二十五菩薩は、もともと一具ではなく、阿弥陀如来像が若干はやい造像であろう。

阿弥陀二十五菩薩来迎像のうち
観音菩薩立像 阿弥陀如来立像 勢至菩薩立像
練供養会式菩薩面 木造 二面
当麻寺
縦23.2〜24.2 鎌倉時代

練供養のときに用いられた行進面で、勢至菩薩、普賢菩薩の面と伝えられる。大振りで宝髯は高く、地髪部と同様に毛筋を細かく刻む。面の奥行きも深く、伏目に作られた両眼の瞳や鼻に孔をあける。面部は漆箔で仕上げ、髪部は群青にて彩色する。銅板は唐草文を切り透かした頭部前飾り(宝冠)は丈が高く、華麗であるが江戸時代の後補と考えられる。この両面の示す表情には一種の厳しさがうかがえ、その制作は阿弥陀立像と同様鎌倉時代まで遡りえよう。

中将姫坐像 (二十九歳像) 木造 一躯
当麻寺 奥院
像高 50.0 江戸時代

中将姫二十九歳像といい、等身に近い大きさをもつ。白布でつくった頭巾をかぶり袈裟や衣を纏って、胸前にて合掌する比丘尼形をみせる。寄木造りで玉眼を嵌め、全体に素地に漆を施して彩色する。貴人縁の半畳と礼盤を重ねその上に坐すが、繁く刻んだ裳の丈が左方へ斜めに流して刻むのが見える。江戸時代の比丘尼肖像として珍しい作例である。

当麻曼荼羅図 絹本著色 一幅
当麻寺 中之坊
縦154.7 横145.6 鎌倉時代

当麻曼荼羅は浄土三部経の一つである「観無量壽経」の変相であり、図様の直接の典拠は、唐の善導(618〜681)による註釈書「観無量壽経琉」によっている。浄土曼荼羅としてはもっとも完備した図様を表す。奈良・当麻寺には八世紀の作品(根本曼荼羅)が現存する。鎌倉時代以降、特に浄土宗西山派の活動と結びついて、まわめて多数の転写本が制作され流布した。画面の中央には極楽浄土のありさまを、向かって左には阿闇世(あじゃせ)王説話(韋提希夫人が釈迦に極楽往生の方法をたずねる)を・向かって右側には往生するための観想の方法を表し、下方には九品の往生図を描いている。

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